コラム/コンピュータは知性を持つか?
よくいろんなSFものの小説、映画、漫画、アニメ、ゲームでは、人ではない機械に意識を持たせ独立し思考するような描写=AIというのが存在する。しかし、自分の考えではコンピュータが知性を持つなどと言うことが荒唐無稽のように考えているが・・・?
よく言われているのが、情報の集積によってその情報がなんらかの意識を持っているという意見だ。たしかに、2ちゃんねるのニュース板などを見ているとテレビで報道されているのとはまったく異なった事が言われている。誰が書いたかわからないような書き込みを見ていて、全然信憑性はない、でたらめだと頭ではわかっていても、どのスレッドにも一定のベクトルが存在し、それが総意だと考えてしまうところが該当していると思う。
これは、ネットの世界だけに限らず、マスコミ、市民団体、政党などいろいろな形をしていて、それら自身がが知性を持っているという錯覚を覚える事はないだろうか?しかし、その情報を作るのも判断するのも人間であって、単なる集団的無意識の固まりにすぎず、自ら思考し~といった下りには該当しない。しかし、思考だけが集まってそのような現象が起きるのかというと、そうとは言えないだろう。ゲーデの言葉に、「世界はデーモンによって支配されている」というようなものがある。で、それが原因で望んでいないのに戦争になると言うような内容だったと思う。(見かけたのは確か、水木しげるの自称伝の漫画本だったと思う)なにはともあれ、この言葉の言うことは荒唐無稽のように思えるが、実際の社会を見てみると、た ??¨えば最近に置いては、アメリカの同時多発テロから、アフガンからイラクにわたっての戦争をみていると、現実味を増すから不思議だ。
ちょっと話はずれるが、物理学の運動法則においても似たようなことがある。たとえば、
においてだ。このmは質量,aは加速度だ。まず、この加速度aを時間tで分解してみよう。
すると、速度vが出てくる。これをさらに進めると
位置ベクトルrが出てくる。いずれにしても、時間で積分していることがわかるだろう。積分が成り立つと言うことは、微分においても成り立つ。
っていうか、TeXの使い方間違えてるな。この数式。不定積分になってないし
ここに書いてあることは、高校の物理の授業で普通にやっていると思う。極々よく見る式だ。ただし、あくまでも数式を見た場合に置いてだ。数式だけでみると、ただ単純に微分積分をしているだけだなぁとよく思うだけだが、積分の話はいい。微分する際に、不確定要素が増えると言うことだ。単純に考えると、速度だけの要素から場所の方向性要素(ベクトル要素)が出てくると言う話になってしまうのではないだろうか?多くの場合に置いて、この手の式に数値を入れることは希であり、数式だけの話で終わってしまうことが多い
この手の事を調べてみると、分野を問わずいろいろな場所で目の当たりにすると思う。
この定義を掘り下げていくと、認知論の世界になる。そもそも、自分とは何か?たとえば、 自分自身 'を見ることができなくて、ただ行動だけがあるとすれば、その物体は自分というものは存在しないだろう。自分自身がなんらかの行動をした結果、なんらかのフィードバックが帰ってこなければ、何もしていないのと一緒である。何もしていないという事は、' 自分自身 が何をやったのかはおろか、その動機も何も存在しない。
このことから、「行動」とは半分外部に依存する行為と考えることができる。
自分が行ったアクション | 行動 |
自分に戻ってきたフィードバック | ~ |
Last Modified: 2005-01-18 12:09:12