blog/2008-02-29


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果たして、こういう内容を不特定多数が閲覧するインターネットのblogの記事として書くべき事だろうか?非常にショッキングな出来事だ。しかし、人間誰しもが立ち会わなければならない場面でもある。今まで自重していたが、自分のために書いておこうと思う。

凶兆

事の始まりは今月の7日頃だったと思う。入院中の祖父が呼吸が断続的に切れるという親からの電話。しかし、自分は9日に予定が入っていたため実際に帰郷したのは、1週間後の15日だった。まさか、そんなにヤバい状態だとは思ってもいなかった。1月にお見舞いに行ったときは、全然しゃべらない祖父を見て、「困った」とつぶやくと、「困ってない!」って答えが返ってきたし。それを見て自分は安心していたのだ。とにかく、翌日見舞いに行くと、驚きを自分は隠せなかった。

病室は、個室に移って酸素マスクを付けている。しかも、苦しそうにゼイゼイと呼吸をしていた。いったい何で1ヶ月もしないうちにこうなったんだ?あと驚いたのが、吐く息が臭い。最初は歯を磨く余裕が無いからだと思っていたが、だんだん絶望に変わる。本当に息が臭いのだ。自分はパニックになった。何かを感じた。今だからいえる。『もう楽にしてやって欲しい』そう思ったのだ。どう考えてもその考え方は、あまりに残酷だとしか言いようが無い。もちろん、生きていて欲しいというのがある。だが、あんな苦しい姿は見たくない。逃げたい。そういった葛藤が渦巻いている。

@nicovideo

控え室でこれまでのいきさつを聞くと気管支にカビが生えたとかと話しているのが耳に入った。え?カビ?そういえば、昔見たブラックジャックの映画で、「生きながらにして腐っていく」という下りがあった。思わずそれを思い出さずにはいられなかった。(左の動画参照)

控え室でもずっとそんな調子でテンパっていて、全然働かない脳みそでもう一度病室へいき、報告と挨拶をした。いつもなら「早く元気になってね」と言うのに、今回ばかりはそれすら言う気にならなかった。いや、言えなかった。

慟哭どうこく

実家に戻ってからもテンパっている状態は続いていた。我ながら落ち着きがない。当然なのか?さっき、手を触れたときのことを思い出した。手の方は、少しだけ体温が低い。体の方は熱いのに。なんか不安定だから、いつものようにネトゲをやっていたが、23時ぐらいで切り上げた。眠くなったとメンバーには伝えた。その直後だった。病院から亡くなられたとの一報が。

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すぐさま、車を出し病院へ向かった。時間は23:30を回ったところ。当然ながら病院のロビーはまっくら。とてもじゃないが駐車場に車を止めるような状態じゃなかった。なぜか自分が車を運転していたような気がする。よく思い出せない。気がついたら病室で看護婦からの説明を受けていた。昼間見たときのように、口を開けたまの祖父をみていた。ベットの隣には、赤ランプが点滅しているモニター。体を触るとまだ暖かい。体を触ったことで、電位が変化したのだろうか?突然その機械から、警報音が鳴りだした。力ないプーップーップーッって音。ドラマやアニメなどでよくあるようなシーン。不謹慎だが、もはやギャグでしかない。

しかし、明らかにこれは現実なのだ。決して、物語で起きているストーリーではない。失って初めて気がつく大切さのような言葉で済むようなものではない。当事者でないとわからないし、理解することも不可能だろう。当事者にとって人間の限界を超える出来事なのだ。仕方がないでも割り切れないし、未だに何が言いたいのか、言葉にはできない。悔やんでも悔やみきれない、あのときこうしていればよかった、いろいろな考え方が頭の中を渦巻いている。慟哭とはこのことを言うのだろうか?

そして、主治医が来て死亡を確認した。「平成20年、2月16日23時35分を持って死亡を確認しました。」もちろん、結論は確認するまでもなく出ている。わざとらしいとか思った。もう電話があった時点で死んでいるのだろうから。しかし、一方で、形だけでもこういう事をすることで気を遣っているということでもあると思う。まだ機器がついている状態なので取り外しをするために、いったん病室から離れることになった。

最後の一息

しばらくすると、昼間たまたま遠方から見舞いに来ていた親戚の人が来た。何か話をしたような気がするが、内容は覚えていない。ただ、考えていたことは、人間が死ぬときはどういう感じなのだろうかという事だ。「離脱体験」というものをご存じだろうか?いわゆる「金縛り」というものである。自分の場合、鬱病が改善し始めた直後からよくおそわれるようになっていた。ちょうどこのサイトを開いた2004年頃の話である。

その体験とは、眠りにはいるときになぜか頭は「起きている」状態で、体だけが「先に眠って」しまい自由がきかなくなるものである。体験したことのない人間からは想像もできないだろうが、これは本当に恐ろしいものである。体の自由を完全に奪われた状態で、まるで棺桶のようなところに自分が閉じこめられて背中をからベットを通して地底に引きずり落とされるような感覚だ。唯一残されている感覚は、自分が呼吸できていることだけ。これが毎日のように続いた時期があった。見方によっては、毎日死の淵におかれているような感覚ではないだろうか?

しかし、この場合は、呼吸が止まるのが先だった。ここで割り切れない問題が出てくる。自分のその体験を考て、生前(とはいっても数時間前)も呼吸が止まりかけたりゼイゼイと息をしていたのを考えるといい死に方とは思えない。

苦しんで死んだ。

唯一の救いは、その直前にあうことができたぐらい。それでも、その目は自分を見ることができたのだろうか?耳は自分の声を聞くことができたのだろうか?まったくもって、割り切れない。もう、そこで考えるのを止めるしかない。たぶん、未来永劫そうするしかないだろう。とりあえず、妹に電話(留守電)をかけて状況を淡々と伝えた。果たして、自分が考えたことは正常なのだろうか?冷静すぎる。暖かみがない。自分の肉親が死んだにもかかわらず冷酷だ。人間的とは言い難いし、自己嫌悪にもなる。

しばらくして、処理が終わって病室に戻れるらしい。戻ってみると、機器を取り外されきれいにしてもらった祖父の亡骸があった。さっきと色が違う。もう黄色くなっていた。こんな短時間で変わるのだ。しばらくすると、葬儀屋が来た。どうやら、親はこうなることを覚悟していたらしくすでに手配をすませていたらしい。ここでも、割り切れない気持ちだ。なぜならば、葬儀屋の手配をする時点で、死んだものという認識であるからである。しかも、生還すべき病院でだ。その一方で、もし、死んでこういった事ができなかったらそれはそれで悔いが残るだろう。

やはり、ここでも考えることを辞めた。

(つづく)


Last Modified: 2008-02-29 12:35:57