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FF11再開にあたって

話は、RO Player's Event Portal(以下EventWiki)を立ち上げた、6月頃にさかのぼる。ある日xreaのアクセス解析を見ていたら、見慣れたWiki形式のアドレスからアクセスがあった事に気がついた。それは、FF11用語辞典++ external_linkという辞典サイトだった。中をのぞいてみると、結構おもしろかった。

2002年当時の歴史とかが説明されてて、「ああ、こういうことあったなぁ」とか思いだし、懐かしくなった。さっそく、そこの掲示板に、旅先案内所のコンテンツに直リンクOKと書き込んだ。

7月下旬、EventWikiというのが企画。要はやたらとwを連打するスラングとして内藤語を使いまくるという祭りだったが、2002年当時、気持ち悪い、とか失礼とかでかなり叩かれてただけに、結構興味深かった。ページを確認するとわかるが、やっぱり元ネタはFF11だった。

そして9月上旬を過ぎたころ、PCの性能で不満だったHDDを交換。そして、いらなくなったパーツのお金で、あこがれてた、GeForce5900XTを購入すると、不意にベンチマークソフトを走らせてみたくなった。ブロマシアでエリア拡張というのが話題になってたので、今まで避けていたVana'dielベンチ2を走らせてみて、それを見ていたら再びやりたくなってきた。

そんななか、さっきのSakage祭りの関連サイトを見ていたら内藤列伝というのを発見。これが、非常に面白く、また懐かしく感じた。この時点で復帰は確定したような気がする。

で、水面下でヴァナ・ディール旅先案内所のWiki化を進めていった。本当は11月に再開しようと思ってたが、結局3連休使って遊んじゃえなんておもったから、金曜日に即買いに行ってきた。翌日、サイトの多言語化に予想以上に時間がかかり、夕方になった時点で再びヴァナ・ディールに降り立つことになった。

さて、Vana'diel Wikiは、ヴァナ・ディール旅先案内所でできなかった、英文ページを更新というのをやってみようと思っている。FF11裏話/FF11β始動~野望へにも書いてあるとおり、最初から日英同時更新という目標があった。当時は、アクセス数稼ぎだけにとらわれていった節があるが、結局アクセス数、知名度、直リンクするな、などなどは、サイトオーナーとしてのエゴでしかなく、閲覧者からみれば、どうでも良いことだと思う。それを証明するかのような現象が、ラグナロクオンラインのコンテンツで何度も起きた。ま、直リンク禁止って書いてあるページは、Googleをプロクシにして直リンク張れば済むことだし。

また、使用しているPukiwikiにおいても新しい試みだと思う。日英統合というのがCVSで開発されていて、これを参考にいち早く多言語化を実装してみた。これにより、Pukiwikiの開発・宣伝にも貢献できたらいいなと思う。(無駄に、中国語、韓国語に対応してたりするが)