blog/2005-08-17


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事の始まりは、読売新聞の広告に出ていた『靖国いってみませんか』という広告であった。8月15日。ちょうど終戦60周年目である。というわけで、実家に帰るつでに最近何かと話題になる靖国神社に行ってきた。

靖国とは何なのか?果たして、軍国主義はどこに存在するのか?周囲の国の蹂躙はどこに存在するのか?を自分の目で見るためでもある。ついたのは大体14時頃。九段下駅から出てまず目についたのは、長蛇の列と、ものものしい警官の数と護送トラックである。とりあえず、集団について行き大鳥居につく。

配布されているチラシ(資料)も気になった。今回ゲットしたチラシは以下のの5枚だった。

  1. 中共崩壊寸前
  2. 「靖国神社を参拝しない!」と明言した民主と岡田を総理にしてはならない!
  3. 内閣総理大臣 小泉純一郎は英霊との約束を守れ
  4. 終戦60周年国民の集い
  5. スカイパーフェクTV 日本文化チャンネル桜
1枚目のチラシは、靖国に入る前に中国系の人からもらった。チラシというより、中共へのプロパガンダだろう。中国共産党の殺人の歴史というのが書いてある。まぁ、これは靖国とは関係ないのでとりあえず、除外。書いてあることは正しいんだろうが、それが認知されるまでに少なくとも十数年ぐらいかかるだろう。
2枚目のチラシは、靖国の大鳥居をくぐってしばらく進んだところで、カギ十字のペンダントを着けたにーちゃんからもらった。おお!いかにも♪って感じで期待して読んでみるとがっかり。内容は、「靖国参拝しないと発言したから岡田を総理にするな」と書いてあるだけであった。それ以前に、プライドの安売り外交をしている時点でアウトだろ岡田は。というのが正直な感想。というか、2ちゃんねる以下。
3枚目のチラシも右翼っぽかったが、「小泉は参拝すべきである」程度の事で右翼というほどのものではなかった。まぁ、外界の圧力に屈して覆すなという点は同意できるが、解散総選挙となった今では、たぶん来ないだろうと思っていた。これでは、単なる思想の押しつけで、ナショナリズムにすらなってない。
4枚目は、実際境内で行われていた講演のものである。大音量で司会者が熱弁をしていた。耳を傾けてみると、戦争の苦労や、彼らの犠牲があって今の日本があるという形式の内容だった。内心は「独立を助けてやったのに、韓国も中国を今は恩を仇で返している」と言いたげだったんだろう。そりゃ正しいだろうが、発言しないほうがいいだろとツッコミたかった。若い学生っぽい人がマイクの前に立ったとき、似たような事をしゃべりだした。これでは、いかにも子供にそういう事を言うようにみたいな演技をしている=自発性が感じられないという気がした。端的に言うと、自分の立場で話しているように見えなかったのが残念である。だが、「戦争経験がないひとが、戦争反対とか、9条改正しろとか水掛け論を繰り返し、靖国を引き合いにだしているが、それはただの傲慢である」という発言には、納得するものがあった。
5枚目は、単なる放送の宣伝だった。

思ったよりも収穫が少ない。境内ではチラシを配るなと書いてあるから当然といえば当然かもしれない。いかにも右翼って人のチラシは、右翼どころか、ただの宗教の勧誘といった感じの内容だったのが非常に残念であった。なんつーか、宗教っぽさをとったらきわめて普通である。確かに周囲の国にから、感情の逆撫でと思われるような発言はあったのは事実だが、それはあくまでも日本という立場から見た問題であって、トータル的におかしいとは思わなかった。

中共の過剰軍備のニュースをダシに、志願しようとか憲法を変えようとする意見すらなかった。完全に拍子抜けである。

さて、次は靖国の本殿の参拝である。今回はオフ板のスレッドでモンゴル750氏が、たまたま募集をかけていたのに飛び入り参加をした。2ちゃんらしく、団体名は無名会。こうして、スムーズに本殿の参拝をすることができた。会話の内容は、オフの内容らしく日本の政治のことについて。

4:00頃に参集所にはいる。40人ぐらいのグループごとに、参拝をするという流れ。そのうち無名会=我々は10人ほど。戦争を体験した老人ばかりだと思っていたが、そういう人の方が少数で数人ほど。20~40歳ぐらいの世代が多かったように見える。4:30から本堂に入ることになった。さすがに、ほとんどしゃべり声は聞こえない。蝉の鳴き声と上空で警戒に当たっているヘリコプターの音が聞こえる以外は驚くほど静かであった。流れは、御手洗で手を洗い、本殿の前の建物で一礼をし、次に本堂に入って本礼をするといった流れだったと思う。

周囲はやはり若い人ばかりだ。本殿で参拝した後、近くにいた老人がこういった。「今年は若い人がおおいね。うれしいよ。若い人でも気にかけている人がいて。ありがとう。死んだ仲間も喜んでいる」自分は、それだけで、ここに来た甲斐があったと思った。靖国があくまでも先祖を大切にするといった部分につながっている事を確認できたと思う。それだけで収穫である。実際自分にとっては、靖国が軍国支配の象徴であるとか、戦争で亡くなった英霊をたたえているとか、自分ぐらいの年齢で戦地に派遣されていたとか、周囲の一部の国を傷つけているといった事なんかはどうでもよかった。ただ、靖国とは何なのかを自分で知りたかった。それだけである。にもかかわらず感謝された。それだけでも、十分に来た甲斐はあっただろう。

自分は、美術館や博物館が好きである。今度は、靖国がどういう歴史をへて今のようになったのか、靖国という立場から見た歴史を自分の目で見るために入った。実家に早く帰らなきゃならないのに、もう17:30すぎていたがまいっか。案の定中は混みまくり。果たして1時間で全部回れるだろうか?

まず、自分は、靖国神社は、大正初期か昭和初期ぐらいに軍の戦没者を慰霊する目的で国策で作られたものだと思っていた。しかし、その歴史は明治時代初期にまでさかのぼり、幕末と明治の時代の狭間で無くなった人の慰霊が目的で作られたものであるという事がかかれていた。まぁ、序盤はどういう訳か平安時代にまで遡って、いかにもとってつけたあたり激しくどうでもよかったが・・・。とりあえず、時間がないので斜め読み。

ここでは、太平洋戦争という言葉は出てこない。大東亜戦争である。大東亜というと、大東亜共栄圏という言葉に行き着く。説明では、アジアから欧米列強を追い出し自分らの国を作ろうという名目のもと、周辺各国から資源を収奪したという事になっている。で、歴史資料をよく見ていると奇妙な事がかかれていた。インドネシアでは、現地政府を現地人と共に倒したことになっている。つまり、歓迎されておりこれは明らかに先述の説明と矛盾する。戦争美化だとしても、現実問題として現地人の協力が無ければ戦争を続けていくことはできない。無理矢理略奪行為を行ったとするならば、戦略的に見ても不自然である。地元住民の抵抗というリスクを割く余裕なぞない。それを示すかのように、多くの戦争体験者による侵略先での生活の様子が書かれている文献を読んでみると、731部隊を除くと多くが現地人と仲良かったという傾向がある。

ま、これも立場の相違であって事実のとらえ方の違いでしかないだろう。だんだん、ナショナリズムとか愛国心とかどうでもよくなってきた。ここは、少なくとも愛国心を刺激するための場所では無い。ただ、靖国神社から見た世界観を示す場所であり、同時にそうであるべき場所なのだ。そういう意味では、広島の原発記念館よりも率直というのか、ありのままを伝えているようにすら思える。その場には何もなかった。そして、建物全体からわき上がる感情というのだろうか、

なんだかなぁという感じで奥に進む。

やはり女性も多くが志願し、


Last Modified: 2005-11-11 03:25:26