ギャルゲーコーナーを見て思うこと

オタブームが叫ばれている今日、ギャルゲーや萌えキャラの地位というものはある程度確立していると思う。しかし、自分には未だにその良さがよくわからない。一般的にオタクと呼ばれている人たちは、ある一つのキャラに対して特別な感情があるように思える。事実、数年前kannonというギャルゲーに関して、友達との超えられない壁が発生し奇妙な劣等感のようなものを感じた。まぁ、当時は自分もその友達も二十歳迎えたとはいえ、まだまだ子供。調子乗って思ってもないことを言い合ったのだろう。それっきり事実上の絶交まで至ことになった。たった一つのギャルゲーが原因でだ。それから数年間音信不通。

彼らと話していこうにも、会話ののりとか以前について行けないのだ。

彼らの話を聞いていると、時には画面上のキャラクターと疑似恋愛までやってるよううである。で、今度は自分で絵を描いている。たしかに、ある一つのキャラを好きになることはあるが、秋葉原中のフィギュアの店に進入してみるとあきらかに、そのフィギュアには、なんらかの意志・・・というか・・・感情を持っている・・・・ように感じられ、そこからのカオスフィードにその手の客が集まって購入している様子が見られた。

文章が、電波っぽいのは、たぶん偶然じゃ無い。

実際問題として、奇妙なエネルギーの存在に気がついたのは、少なくともつくばエクスプレスが開通がいよいよ間近になってきた頃だったと思う。電車男ブームの訪れたあたりから、その奇妙なエネルギーが増大していくのを生で感じ取ったのだ。いったいあのエネルギーはなんだったのだろうか?もっと電波な言い方をすると、駅の改札をでたところからが広がり、中央通りにそのエネルギー源が存在しているように思ったのだ。

よく見ると、至る所にメイドさんが街路の至る所にいる。彼らなのだろうか。

まぁ、ここは問題を本題に戻そう。今大事なことは、他人にはある感情なのに。自分にはそのある感情が存在しないことだ。普通のオタクなんかをみると、たいていギャルゲーの話を出してきて、自分にもやってみるようにおすすめしてくる。しかし、自分が実際そのゲームをやって魅力的に感じたのは絵柄ぐらいなもので、あとは弟切草やかまいたちの夜に代表されるようなサウンドノベルと同じにしか感じない。

いったい、このゲームのどこが、恋愛感情と結びつくのだろうか?それでも、ヴァーチャルな恋人を作っている時点で、また自分は取り残された気分になる。ヴァーチャルはヴァーチャル。リアルはリアル。陳腐な言葉だ。だが、本人にとってはリアルだろうとヴァーチャルだろうと関係ないのだろう。とにかく、そのキャラクターにはまる。それだけで、彼らは満足のようだ。

まったく理解できない。そういう感情がわからない。